金沢聖書バプテスト教会

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御言葉メール976

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御言葉メール976

2019年4月27日(記:辻嵐桂子)

そして、人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっているように、キリストも、多くの人の罪を負うために一度ご自分を献げ、二度目には、罪を負うためではなく、ご自分を待ち望んでいる人々の救いのために現れてくださいます。(ヘブル人への手紙9章27-28節)

旧契約(律法)においては、贖罪のいけにえが絶えず繰り返されることによって、民は神の御前に立つことを許された。
新契約(キリストによる贖い)は、キリスト者が神に近づくのに、ただひとつのいけにえ(イエス・キリストの十字架の死)で十分とした。
著者は旧契約に対する新契約の優位性を述べてきたがここで、さばきの概念を持ち出す。

人間にとって死は不可避である。それは誰の目にも明らかである。
同様に、たとえ人が認めようと認めなくても、死後のさばきも不可避である。

だが要点はそこではない。著者は人の定めに対比させて、キリストが一度死ぬこと(そして復活)によって罪の問題を解決したこと、そして、異なる目的で二度目に来られることを伝えている。
死後のさばきと対比させるなら、ここでは最後的審判者としてのキリストの来臨という局面が導入されるべきであろう。
だが著者は、二度目に来られるのは救いのためであることを強調する。
これは、先にささげられたいけにえが完全に受容されたことの保証である。

主を待ち望んでいる人々(私たちクリスチャン)は、救いの保証をいただいている。
すなわち、本来罪故に不可避であった死後のさばきを免れ、キリストと同じように、永遠のいのちに与るのである。
それは、やがて来る肉体の死に対しても、怖れ以上の希望を与えてくれるものである。

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