御言葉メール984
2019年7月6日(記:辻嵐桂子)
信仰の創始者であり完成者であるイエスから、目を離さないでいなさい。この方は、ご自分の前に置かれた喜びのために、辱しめをものともせずに十字架を忍び、神の御座の右に着座されたのです。(ヘブル人への手紙12章2節)
信仰生活に困難はつきものである。
初代教会は迫害によって信仰を試され、中には信仰を捨てる者もあった。
現代の日本では信仰の自由が保証され、私たちは伝道も礼拝も自由に出来る環境にある。
それでも、日々様々なことで信仰を試される。それは、聖書が伝える信仰の素晴らしさと、私たちの目の前の現実が、あまりにかけ離れているからだろうか?
目に見えないものに望みを置き続けることは容易ではない。だがイエス・キリストは、その望みに確証を与えてくれる。
11 章では、約束のものを望み見、試練を耐え忍んだ過去の信仰の勇者たちが列挙され、その信仰が称賛されている。
だがその約束の成就を見たのは、イエスの死と復活を経験したクリスチャンたちであった。
そしてここでは、人としてこの地上を歩まれ天に昇られたたイエスご自身が、信仰者の究極の模範でありゴールであることを伝えている。
しばしば世のものに心を奪われ、信仰の目が暗くなることがある。信仰の価値がわからなくなるのである。
そんな時私は上記の御言葉を思い起こす。
イエスを見続けることが、私の信仰を支えてくれるからである。