御言葉メール995
2019年9月28日(記:斉藤文子)
「わたしは良い牧者です。わたしはわたしのものを知っており、わたしのものは、わたしを知っています。、、、また、わたしは羊たちのために自分のいのちを捨てます。」ヨハネ10の14,15
イエスはご自分は良い羊飼いだと言われます。羊は勿論、人間です。良い羊飼いは羊を養い育てます。あらゆる危険と災いから羊を守り保護するのです。そして良い羊飼いは羊のためにいのちを捨てる。イエスが良い牧者として、十字架でいのちを捨てられるのは、その贖いの死によって、羊が命を得、それも豊かに得るためです。
ところが良い羊飼いと言われる時、偽りの羊飼いもいるわけです。彼らは羊を利用しているだけの者で、自分の利益や報酬だけを気にしている。しかし残念なことに、この世はそういう偽りの牧者、指導者に魅力を覚え従うのです。自分の願いを叶え、自分の理想を実現させてくれるものこそ、豊かな牧草地に導く羊飼いだと思うのです。一見、自分の思う様になったように見えても、イエスはそこには人を生かすいのちはない、と言われる。
イエスの声を知る者(イエスを信じる)は、現在、様々な苦しみや悲しみ、どうしていいか途方に暮れる日々の中にあっても、まことの羊飼いのイエスがご自分のいのちを捨ててまで自分を守ってくださると、信じるのです。今の、落胆しどうしようもできない状況の中も、キリストのいのちをかけた守りの中にある、と信じさせていただける。私の失敗だらけの人生も、このまことの羊飼いによって、緑の牧場で憩わせられながら、乏しいことがないと告白できることは何と幸いなことでしょうか。