御言葉メール996
2019年10月7日(記:辻嵐桂子)
さて、民は主に対して、繰り返し激しく不平を言った。主はこれを聞いて怒りを燃やし、主の火が彼らに向かって燃え上がり、宿営の端をなめ尽くした。(民数記11章1節)
モーセに率いられ、約束の地を目指してエジプトを出発したイスラエルの民は、力ある神のみわざを幾度も経験しながら、困難に遭遇するとすぐに不平を言い、自分たちが奴隷であったことも忘れ、エジプトを懐かしんで神に言い逆らった。
神への呟きは不信仰の表れであった。
上記の御言葉にも見られるように、このような反抗に対しては直接的速やかに神の怒りが表され、さばきが下された。
そして度重なる不信の結果、エジプトを出てきた世代の大半が荒野で死に絶え、新しい世代の者たちが約束の地を踏むこととなったのである(民数記26章64-65節)。
私たちも、イエス・キリストを信じ救いを頂いたはずのに、困難に遭遇したり、期待通りにいかないことがあると、たちまち不平が口から出てしまう。
クリスチャンであることが何か、この世の人に比べ損であるかのように思ってしまう。
まさに荒野の民と同じである。
だが幸いなごとに、私たちは彼らから学ぶことができる。
私たちは迷ったり、疑念を抱くようなことがあったとしても、キリストの愛と赦しの中に生かされ、御言葉によって教えられ、励まされるのである。