御言葉メール1041
2020年8月29日(記:斉藤文子)
「知識は人を高ぶらせ、愛は人を育てます。」第1コリント8の1
ここで言われている知識というのは偶像についての知識です。当時、偶像に供えられた肉は偶像の祭司が一部を食べ、残りは供えた者が持って帰ったり市場に出されたりしました。そのため市場はいつも偶像に供えられた肉が売られていたのです。
コリント教会には、偶像に汚される事を恐れ、供え物の肉を食べまいとする人と、偶像の神など実在しないのだから偶像に供えられた物を食べても何の害もない、と言って大胆に食べる人がいました。後者の人達は、自分達は偶像についての知識を持っている、と言って大胆に食べていたのです。
確かに偶像はまことの神ではなく、ただの木や石に過ぎない。天地万物の創造者以外に神はいない。しかし信仰の弱い人は、長い間、偶像を神々とみてきたので、キリスト者になってから、偶像の供え物の肉を食べる時、現在、信じているまことの神に罪を犯しているという罪悪感をもったのです。
偶像への知識があっても、その知識が信仰の弱い人を辛くさせるようなら、今後、決して肉を食べないとパウロは断言します。
偶像を拝むことは罪ですが、偶像に供えた肉を食べる食べないは、罪を犯すという問題ではありません。そういう事で対立が生まれる事が教会において問題です。パウロが肉を食べないという時、自分の自由を制限して相手に合わせた。知識を持ちながら、徹底して弱い人に合わせていくパウロの姿勢の中に、私自身キリストの愛に捕らえられた知識がどういうものか、教えられるのです。