御言葉メール1049
2020年10月26日
「こういうわけで、あなたがたは、食べるにも飲むにも、何をするにも、すべて神の栄光を現すためにしなさい。」第1コリント10の31
キリスト者は、自分のすべての罪とがを赦し神と共に生きる者としてくださった神に、栄光があるようにと祈ります。この神の栄光を現わす生き方とはどういう生き方なのでしょうか。
パウロはコリント教会において問題になっていた、偶像にささげた肉の問題を通して論じていきます。誰かが、これは偶像の宮にささげた肉だと教えてくれる人がいたなら、その人の良心のために、その肉は食べないようにすべきです、とパウロは言う。それはキリスト者であれ未信者であれ、教えてくれる人はキリスト者が、偶像にささげた肉を食べない事を知って親切心からそうしてくれるのだから、それを教えてくれた人に感謝して、その肉を食べないほうがよい、とパウロは伝えます。
たとえ自分が偶像の神は実際にはないものであり、唯一の神以外に神は存在しないので食べても問題ない、と知っていても、弱い兄弟たちの良心と信仰を重んじて、その肉を食べないのです。食べる事においても、自分の理解や食欲ではなく、相手の思いや信仰を大切にする。この自分の隣人を思いやる愛が、神の栄光を現す生き方だというのです。
キリスト者が神の栄光のためという願いと祈りを持つとき、初めて私達は、自分より他者の事を考える生き方へと導かれていきます。
神を思い、神を慕わせて欲しいと私は祈らされます。その時、愚かな者でも、人への思いやり、配慮を教えて下さるでしょう。そうして自分の内になされるわざによって、私も神を崇めさせていただきたいのです。