御言葉メール1060
2021年1月10日
見なさい。耐え忍んだ人たちは幸いだと私たちは思います。あなたがたはヨブの忍耐のことを聞き、主によるその結末を知っています。主は慈愛に富み、あわれみに満ちておられます。(ヤコブの手紙5章11節)
ヤコブの手紙には、試練と誘惑(これらは同一の原語から派生した)というテーマが一貫して見られる。
すなわち、迫害され虐げられている者たちに対し、悪者の繁栄と安泰を妬み、神の正当なさばきに疑念を抱く、そのような誘惑にかられることがないよう、主が来られるのを待って耐え忍ぶようにと語るのである。
言われのない苦難に耐え抜いた人物としてヨブがあげられているが、ヨブは自分に降りかかった困難を受け入れることができず、神に不平を述べ立てた(旧約聖書ヨブ記)。
しかしヨブはもがきながらも(また時には反発しても)神の前に立ち続け、神に希望を持ち続けた(16章19-21節、19章25-27節参照)。
ヨブの結末は周知の通りで、神はヨブの肉体を癒し、家族と財産を回復させ、ヨブは更なる神の祝福を亨受し、長寿を全うしたのである。
私たちは、ヨブの真実さが最後にいかに報われたのかに目をとめるべきである。
これは何も忍耐が常に物質的な繁栄によって報われるということではない。
私たちはそういう例を多く知っているし、聖書にも多く見られる。
迫害され虐げられ、苦しんでいる者たちのどこが幸いなのかと言われるかもしれない。
だが幸いとは、私たちが感じる幸福感のことではない。
幸いとは、客観的で変わることのない神からの祝福、私たちの立場を指すのである。
ヨブがそうであったように、苦難にあっても忍耐し、真実に立ち続けるなら、私たちも必ず慈愛に富み、あわれみに満ちておられる神から、豊かな報いを受けるのである。