御言葉メール1076
2021年5月1日
「あなたがたは正義の種を蒔き、誠実の実を刈り入れ、耕地を開拓せよ。今が主を求める時だ。ついに主は来て、正義の雨をあなたがたの上に降らせる。」(ホセア書10章12節)
「恩を仇で返す」という日本語があるが、イスラエルの主に対する所業は、まさにそのようなものであった(1節、11節、11章1-4節)。
イスラエルには、選ばれたが故に果たすべき責任があった。
ここでは「正義の種を蒔き、誠実の実を刈り入れ、耕地を開拓せよ」とあるが、実際彼らが行ったのは「悪を耕し、不正を刈り取り、偽りの実を食べる」(13節)ことであった。
「雨を降らせる」あるいは「注ぐ(異訳)」という言葉は、本来神の恵みを表す時に用いられる(イザヤ書44章3節、ヨエル書2章23節)。
だがこの書は、イスラエルの罪を告発し、やがて来る審判を宣告している。凄まじい審判が、今まさに執行されようとしていた(14-15節)。
それでも上記の御言葉は、真摯に国民に悔い改めを求めているのであろう。
「今が主を求める時だ。」
悔い改めて神の命令に従うなら、神の恵みは惜しみなく降り注がれるのである。
私たちはここから何を学び、この御言葉をどう適用することができるだろうか?