御言葉メール1086
2021年7月17日
「兄弟に対して怒る者は、だれでもさばきを受けなければなりません。兄弟に『ばか者』と言う者は最高法院でさばかれます。『愚か者』と言う者は火の燃えるゲヘナに投げ込まれます。」(マタイの福音書5章22節)
これはイエス・キリストが旧約聖書の十戒を取り上げ語ったところである。
第六戒の「殺してはならない」という戒めを、当時のユダヤ人は、殺人さえ犯さなければ律法に抵触しないと考えていた。
だがイエスは殺人という行為だけでなく、他人に対する怒りやさげすみ(すなわち心の中の問題)もまた罪を犯すことであり、同等のさばきを受けなければならないと言われた。
律法は殺人を禁じているが、その本来の意図は、積極的に人間関係の破綻に和解をもたらすこと(23-24節参照)、すなわち相手を生かすことにある。
そしてこれらの教えが私たちに突きつけるのは、私たちが罪人であり、罪を犯さずには生き得ないものであるという事実である。
感謝なことに、私たちの主イエス・キリストは、このように己の罪を知る者こそ幸いな、天の御国に入ることが出来る者だと言われる(3-10節)。何故なら、イエスは律法の目指すところを自ら実践し、その要求を完全に満たし、罪人に課せられる刑罰をも受けて(十字架)律法を成就されたからである。
神の律法が私たちに罪を教え、救いを求めさせ、イエス・キリストへと導くのである。