御言葉メール1137
2022年7月27日
「イスラエルの神、主は生きておられる。主は私を引き止めて、あなたに害を加えさせなかった。もし、あなたが急いで私に会いにこなかったなら、きっと、明け方までにナバルには小童が一人も残らなかっただろう。」第1サムエル25の34
ダビデは荒野でナバルという人の羊飼い達と共にいる時、ナバルの物を守ってやりました。ダビデは600人の集団を養う責任があり、そのナバルに食料の援助を求めた。
ところがナバルは、どこの馬の骨かわからない者に自分の労苦の実をわけてやらなければならない理由はない、といってののしり断るのです。ダビデは怒り復讐を誓います。それを知ったナバルの下で働く若者は、ナバルの妻アビガイルに、ダビデ達は自分達によくしてくれた、と訴えます。アビガイルはすぐ、たくさんの食料を持ってダビデの前にひれ伏します。
そしてダビデに、あなたは必ず王になる、そしてその王家は長く続くので、そのダビデがナバル一族を絶滅するような事はしてはならない。ダビデの戦いは主の戦いであり、無駄に血を流す事があれば、それはダビデの心の妨げになる、といって復讐を止めさせるのです。
ダビデはアビガイルの言葉によって、復讐が止められ主を崇める事ができた。その後ナバルは主に打たれて死にます。私達の人生で、やり返したいという思いになるとき、主に委ねる力をこの箇所は与えてくれるのではないでしょうか。