御言葉メール576
2011年4月9日
「偶像を造る者はみな、むなしい。彼らの慕うものは何の役にも立たない。」(イザヤ44の9)
故小畑進牧師はそのメッセージの中で、「人はみみずさえ作れないのに神をたくさん作る」と言われ、イザヤは偶像を作る人間を皮肉ってこう言います。人間は先ず木を植えて、それが育てば薪にして暖まり、更にその火でパンや肉を焼く。木の残りで神を作り自分の偶像にする。
それにひれ伏し「私を救って下さい、あなたは私の神だから」と言う、と。みみず一匹作れない人間が、自分の欲望のために神を大量生産し、しかもそれを絶対視する。私もかつてはそうでしたが、私の家族は今なお、こういうものを拝んで、伝統や習慣に従う納得感と心の慰めを見出しています。しみじみ哀れだなあと思います。
絶対的な神という存在を求めながら、まことの神を悟り得ない人間のあまりにも不合理な姿ではないでしょうか。しかしその様な者の目をあけ耳を開いてくださる方がおられる。賢いと思ってしている事が、実は欲望でしかなかったと、気づかせてくださる。この様に私達の心に教えて下さる神は、私達が作った神ではなく、私達を創られた神なのです。