御言葉メール 23
2004年10月20日分
「天の御国は、からし種のようなものです。それを取って、畑に蒔くと、どんな種よりも小さいのですが、成長すると、どの野菜よりも大きくなり、空の鳥が来て、その枝に巣を作るほどの木になります。」(マタイ13の31,32)
以前、米粒ほどの杉の種を見た事がありますが、からし種は、どんな種よりも小さいとあるので、多分、杉の種よりも、もっと小さいのでしょう。私たちの内に蒔かれた福音も、最初は種のように、その恵みを少ししか理解できません。しかし種はどんなに小さくても、生きているので必ず成長します。
ただ私達は「成長」という言葉を使う時、できない事ができる様になって、だんだん良くなっていく事を考えます。しかし聖書を読む時、私達が持つ「成長」のイメージとは、ずいぶん違う事に気ずかされます。聖書を知れば知るほど、今までは知る事のできなかった自分の醜さが、生活の中で具体的に教えられます。
この事は私達にとって決して楽しい事ではなく、むしろ認めたくないつらい事です。しかし罪のために葛藤したり、そんな自分が赦され愛されている事を感謝したりする時、その時、神様は一方的に密やかに恵みから恵みへと成長させて下さっているのです。植物が育つのと同じように、この事は目で見る事はできません。
しかし小さな種を大木に育てられる神は、悔い改め感謝することを通して神を仰ぐ私達のうちに、神ご自身の業を育てておられるのです。
御言葉メール 23
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