御言葉メール 24
2004年10月23日
するとイエスは言われた。「できるものなら、と言うのか。信じる者には、どんなことでもできるのです。」するとすぐに、その子の父は叫んで言った。「信じます。不信仰な私をお助けください。」(マルコ9章23,24節)
私はイエス様を信じてからも、「本当に自分には信仰があるのだろうか」、「私のような不信仰な者はいないのではないだろうか」という思いが、何かある度にわいてきました。
だからといって、イエスキリストの贖いを中心とする教理に疑問があるわけでもなく、キリストが歴史に存在された神であることも、客観的事実として信じているのです。信じていても、そういう思いがわいてくるのは、一体どういう事なんだろうかーこういう思いを持っていた時、上記の父親がキリストに応答する言葉に、強く教えられたのです。
「信じます」と「不信仰な私をお助けください」という言葉は、一見、矛盾している様ではありますが、罪を赦されていても、依然として罪を持つ者として生きている私にとって、真実な信仰の告白として理解できました。信仰は一方的に神から与えられた賜物です。
自分の努力で得たものではないので、その中に生きたいと願いながらも自分の力ではできないーこの思いは、信じたいけど信じれない、でも信じます、という告白へと私を導きました。満足や納得を求めたくなる現実生活の中で、そうではない信仰のあり方を、このみことばは教えてくれたのです。
御言葉メール 24
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