金沢聖書バプテスト教会

金沢聖書バプテスト教会は、神の愛とキリストの贖いと聖霊の導きによって真の神様を礼拝する者の集まりです。あなたを心より歓迎します

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御言葉メール123

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御言葉メール123
2005年10月5日
「見よ。神が私を殺しても、私は神を待ち望み、なおも、私の道を神の前に主張しよう。神もまた、私の救いとなってくださる。」(ヨブ記13の15,16)
私達はどれほど、ただ神を信頼する事を教えられてきたことでしょう。どれだけ教えられても、ただ神を信頼する事の何とむずかしいことか。
信じて病気が治る事を期待し、信じて勉強や仕事がうまくいくことを期待する、信じて家族をはじめとする人間関係が解決する事を期待する、信じて期待する事は大切です。しかし信じる結果として、自分の願うようになる事のみを求める時、もはやそれは、ただ神が神である故に信ずる信仰ではなくて、御利益を求める信仰といっていいのでしょう。
私自身、生来の心のままで生きるなら御利益しか求めませんでした。しかしヨブは、子供、財産、僕、自分の健康の全てを失った時、それでもなお神を待ち望み、神が私を殺してもなお神を信頼する、と告白するのです。彼は与えられた全ての持ち物、立場の故に神を崇めていたのではなかったのです。
神が絶対的主権者であり、その方と個人的な関係の中で生きていたからこそできた告白だったのでしょう。私は全てのことが自分の願いどおりにならないと思われる時、ヨブの告白を思い出させてほしいと祈ります。「それでも、あなたを信じさせてください」と。

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