金沢聖書バプテスト教会

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御言葉メール234

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御言葉メール234
2006年11月22日
[彼は、私たちのそむきの罪のために刺し通され、私たちの咎のために砕かれた。彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、彼の打ち傷によって、私たちはいやされた。私たちはみな、羊のようにさまよい、おのおの、自分かってな道に向かって行った。しかし、主は、わたしたちのすべての咎を彼に負わせた。]イザヤ53の5,6
ナザレの大工の息子イエスは神であったか、この問いは時代を超えて論争されているところです。それに対しては聖書全体の中から多くの論証が成されています。私自身はこのイザヤ書53章のメシア預言と呼ばれる、イエスの姿の中に人間には絶対不可能な、救い主としての姿を見るのです。人間を造られた神でなければ、自分勝手な人間のために、自分を犠牲にして平安を与え、罪の罰から救おうなどとは思わないでしょう。
しかもこのメシアの姿は、人間がこんな状態にだけはなりたくない、と思われる究極のみじめさと恥ずかしさの中にあります。天地万物の創造者にして権威ある神は、罪ある人間の救いのために、人間のしもべになることもできる方なのです。人間にはできない神の愛の業、これが私に平安をもたらしました。

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