御言葉メール265
2007年3月10日
「イエスは答えて言われた。『この水を飲む者はだれでも、また渇きます。』」(ヨハネの福音書4の13)
ある本に「私たちはみな、太陽や雨を恵みとしていただいています。ところが霊的な恵みになると、多くの人が要りませんと断るのです。神の下さる地上の恵みをただで受け取って」いるのに、とありました。人はそれだけで満足して、霊的な恵みを求めません。それを疎んじる人さえいます。残念ながら、クリスチャンの中にも見られる現象です。その様な人は、聖書の神でなくても、他の異教の神々(但し本当に存在するならば)でも十分なのです。
キリストによる救いを頂いた価値を全く見失ってしまっている人の姿です。キリスト者であるなしに関わらず、精神的に病んでいるのです。キリスト者であるならば、サタンの惑わし、罪の残滓に足を取られているのです。彼らは、世の多くの祝福を受けても、これでは足らない、もっと欲しいと、不平不満ばかりを膨れ上がらせるのです。自分でその欲望を止められません。そのわけは、キリストの贖いによって、与えられる霊的祝福(あらゆる罪の解決=赦し)を無視する(価値あるものとして尊ばない)からです。
御言葉メール265
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