御言葉メール366
2008年2月27日
「望みを持つ捕われ人よ。とりでに帰れ。わたしは、きょうもまた告げ知らせる。わたしは二倍のものをあなたに返すと。」ゼカリヤ9の12
私は本当に自分が「捕われ人」だなと思います。自由に生きている様で、決して自由に生きていない。自分の罪と悪にがんじがらめにされています。この事はイエス様の生き様を考える様になってから、もっとはっきり解ってきました。
自分に反対する者を憎み、仕返しをしたりする事なくむしろ哀れみ、相手がわけのわからない事を言っても、それを責めたりバカにする事なく応対し、自分の罪を認める者を、たとえ他人がどの様に評価しようと赦しかばい、人の顔色を見る事なく悪に対しては徹底して糾弾する。人から見たら無様で弱々しく、また権威にたてつく者と見えたりしながら罪と悪がはびこる世界で、それに左右されない自由さの中におられます。
イエス様と反対の生き方をしているのが私です。しかしその私に望みがある。罪と悪に支配されないキリストのとりでに帰り、そこに隠れる事です。神はキリストの故に二倍(十分な)の祝福と慰めを与えて下さる。どうか主が、罪赦された自由の中に私を日々生かして下さいます様に。
御言葉メール366
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