御言葉メール403
2008年7月19日
「信仰は聞くことから始まり、聞くことは、キリストについてのみことばによるのです。」(ローマ10の17)
人間の身体の感覚の中で、最後まで残るのは聴覚だそうです。話しかけて全く反応がなくても、聞こえていることが多く、ただ応答する力がないので聞こえていないように思えるのだそうです。この事は神様の哀れみのように私には思われます。死ぬ直前まで、
キリストの救いのみことばを聴く機会があるという事だからです。信仰はなによりも聖書のことばを聞くことからスタートし、自分の思考や感覚から始まる事はありません。先週は義父のお見舞いに群馬に出かけました。酸素吸入の中の顔はほとんど寝ている様で、うっすらと目をあけてもすぐ目をつむってしまう状態でした。主人が「親父、天国へ行きたいやろ、是非、行って欲しい」というと、「うん」と答える。
しばらく主人が話す事がわかっているのか、わかっていないのか、お祈りまで目を開いていました。父の聴覚が最期まで守られて、主人が話したことを理解し自分なりに、救い主イエス様に応答できるように、心から祈らされました。みことばを聞く事は天国への道を開く鍵なのです。
御言葉メール403
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