金沢聖書バプテスト教会

金沢聖書バプテスト教会は、神の愛とキリストの贖いと聖霊の導きによって真の神様を礼拝する者の集まりです。あなたを心より歓迎します

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御言葉メール485

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御言葉メール485
2009年7月4日
「いま私が、この世に生きているのは、私を愛し私のためにご自身をお捨てになった神の御子を信じる信仰によっているのです。」(ガラテヤ2の20)
私達は目に見えるところ、聞く事、触れるところが朝起きて夜寝るまでの現実です。多くの人はその現実が自分の全てだと思って生きています。しかし冒頭のみことばをじっくり味わってみて下さい。パウロは目に見える現実を通り越して、キリストの愛と赦しを自分の現実としているのです。
パウロの現実は、迫害と様々な苦しみのつきまとう過酷なものでしたが、パウロはその現実の先に(あるいは中に、外に)自分を愛してやまないキリストの愛、赦しを見続けました。パウロの生きる目的はただ一つ。自分の願いを叶えることではなく、キリストの素晴らしさが現される事でした。
人にとって耐えられないと思われる現実も、その先にあるキリストの愛と赦しの現実に気づくなら、生きる望みと目的が与えられる事を信じます。それはキリストの素晴らしさが現される事です。「神様、私の現実の先におられるあなたを見続けさせてください。」

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