御言葉メール493
2009年8月22日
「教会はキリストのからだであり、いっさいのものをいっさいのものによって満たす方の満ちておられるところです。」(エペソ1の23)
教会はキリストのからだです。これは、キリスト以外のかしらを持たない、という事です。キリストがかしらであるなら、私達は全ての事柄においてキリストに聞かなければなりません。そうして教えられる事は、キリストが教会に満ちておられる、という事だとパウロは告白していきます。
キリストの教え、愛、恵みを知る時、教会は個人個人の楽しみや満足、自分の利益を求めるところではなく、自分の賜物を全体のために生かす所だと教えられていくのではないでしょうか。賜物という場合、何かができる、という事ばかりでなく、病気や障害等も神様から与えられたものと理解できるようになるでしょう。
若い時、私は礼拝に出席するのは自分が力を受けたり、恵まれたりしなければ意味が無いと考えたり、又私一人ぐらいいなくても教会は回っていくなどと考えていました。しかしそれはキリストのからだとしての考えではなく、教会に満ちておられるキリストを知る事はできないのです。
御言葉メール493
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