御言葉メール620
2012年2月18日
「ここのユダヤ人は、テサロニケにいる者たちよりも良い人たちで、非常に熱心にみことばを聞き、はたしてそのとおりかどうかと毎日聖書を調べた。」(使徒17の11)
ユダヤ教のパリサイ派の人達は、自分の考えを絶対視して他の考えを受け入れようとしませんでした。しかしベレヤのユダヤ人達は、パウロが話している事は本当に旧約聖書で言われているのかを自分達で調べる、理性的な見方をする人達でした。
ここで言われている良い人達」とは、罪が無い、とか、りっぱな行いをする人という意味ではなく、真理に対して寛容に心を開く、という意味で使われています。ベレヤの人達は毎日聖書を調べた結果、多くの者がイエス様を信じました。神のことばである聖書のみが、キリストがどういう方であるかを教え信仰へと導く。続けて聖書を学ぶ目的は、キリストご自身との個人的な深い交わりの中に生きる為です。
それは生活の全てでキリストを信頼する事。信頼するためには聖書を知らなければなりません。そこで聖書を読む時、その箇所で言おうとしている事、その意味、更に自分にどう適用できるか、を考えながら読むと理解の一助になると思います。