御言葉メール666
2013年1月26日
「またキリストによって、いま私たちの立っているこの恵みに信仰によって導き入れられた私たちは、神の栄光を望んで大いに喜んでいます。」(ローマ5の2)
私達の喜びはどこにあるでしょうか。何を喜んで生きたかは、私達の人生を特徴づけるものになるでしょう。そればかりか人生を決定さえするのです。私達は多く自分の願いがかなう事を望み、かなえば喜び感謝します。
叶えられなければ不幸のどん底の様に思います。しかし、それ以外のどんな喜びがあるというのでしょうか。パウロはイエスキリストを宣べ伝える生活で、周りの人と対立し危険にさらされるという日常でした。そのパウロにとっての喜びは、「神の栄光を望んで大いに喜んでいる」というのです。神様の素晴らしさを知っている事と、自分も今は罪赦されていても、罪を持つ身であるが、やがて罪の無い栄化された者に変えられる。
神様の栄光の素晴らしさとやがて自分も変えられるーこの確信と期待が、パウロの日常生活を支配する喜びでした。こういう喜びがあるのです。私はパウロの様な喜びの中にいつも生活できない者です。神の栄光への無知とそこからくる、神だけに目を留められない弱さがあるからです。しかし私を救いに招かれた神は、この喜びを必ず満たして下さると信じています。