御言葉メール733
2014年6月7日(記:マハー満枝)
「いつまでわたしの前に身を低くすることを拒むのか。」(出エジ10:3)
出エジプト記7章から10章までのモーセとパロの対峙の様子を見る時、そして特にパロの態度や言葉を見る時、哀れというより、それはむしろ滑稽にも見えます。とにかく神様を拒み、イスラエルを行かせようとはせず、災難が降りかかるとモーセに泣きついて態度を一変させ、問題がなくなるとまた心を頑なにして反抗する。
そんなパロにかけられた神様の言葉(10:3)には、ハッとさせられます。「いつまでわたしの前に身を低くすることを拒むのか。」パロの姿を見て、何と愚かなんだろうと私たちは思ってしまいますが、よくよく考えてみると、自分の中にもそのような愚かしさがある事を否めません。
「モーセという人は、地上のだれにもまさって非常に謙遜であった。」と民数記12:3にあります。謙遜と傲慢の定義は何でしょう?謙遜は、全ての上におられる神様を認めて仰ぎ、その御前に身を低くすること。傲慢はそれに反して、自分を全ての中心に置くことではないでしょうか。「いつまでわたしの前に身を低くすることを拒むのか。」この言葉を、今日神様から私にいただいたお言葉として、かみしめながら一日を過ごさせていただきましょう。