御言葉メール734
2014年6月14日(記:辻嵐桂子)
「金銀は私にはない。しかし、私にあるものを上げよう。ナザレのイエス・キリストの名によって歩きなさい。」(使徒の働き3章6節)
生まれつき足が不自由で、毎日神殿の門の所に座り、人々から施しを受けて生活していた男は、僅かの金でももらえれば幸いとぺテロたちを見つめた。しかしぺテロが彼に与えたのは、その日をしのぐ金ではなく、人生を一変させる「歩ける足」だった。
この男の喜びの大きさは、癒された途端おどり上がり、神を賛美しつつ歩いたり跳び跳ねたりしながら神殿に入って行った様から伺える。かつては神殿で神を礼拝することもかなわなかったのである。
今日このような顕著な奇跡はないが、私たちがイエス・キリストを信じ、救いを頂いた事は、この男の経験と似ているのではないか。それまで望みさえしなかったのに、金銀より尊い罪の赦しを得、唯一真の神を礼拝する者とされたのだ。それにより私たちの運命が一変したことを覚えるなら、その喜びは、癒された男に劣らないであろう。
「この方以外には、だれによっても救いはありません。世界中でこの御名のほかには、私たちが救われるべき名としては、どのような名も、人間に与えられていないからです。」(使徒の働き4章12節)