御言葉メール788
2015年7月18日(記:辻嵐桂子)
「わがたましいよ。主をほめたたえよ。
主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。」(詩篇103篇2節)
詩篇の中にはしばしばこのように、「わがたましいよ」とまるで自分自身の最も深いところに語りかけるような表現が見られる。
この詩篇には、罪を赦し救って下さった神への感謝が溢れている。主は「あわれみ深く」「情け深く」「御恵みに富んだ」お方であると繰り返し強調されている。
それは、個人の救いに止まらず、繰り返し神に反逆してきたイスラエルの民に対する神のお取り扱いへの感謝と賛美になっている。
「良くしてくださったこと」とは必ずしも良い思いをしてきたことばかりではない。イスラエルの民がそうであったように、時には厳しい神のお取り扱いもある。
目をとめるべきは、なんの功しもない者を神は顧み、救い出し、恵んで下さるということである。
試練の直中にある時、神への感謝が自然と沸いてくることはなかなかないだろう。
だがこの詩篇の作者のように呼び掛けてみよう。
「わがたましいよ。」
自分が何者で、神がどのようなお方か、そして、かつて神が自分を、また神の民をどのようにお取り扱われたか、もう一度思い巡らせてみよう。