御言葉メール790
2015年8月1日(記:辻嵐桂子)
「見よ。わたしはあなたとともにあり、あなたがどこへ行っても、あなたを守り、あなたをこの地に連れ戻そう。わたしは、あなたに約束したことを成し遂げるまで、決してあなたを捨てない。」(創世記28章15節)
父を欺き、兄を出し抜いて長子の権利を手に入れたヤコブであったが、その身に降りかかって来たのは祝福どころか困難であった。
たった一人で故郷を後にし、孤独と不安に苛まれながら野宿するヤコブの夢に神は現れ、約束の言葉を繰り返し、上記のように語られた。
目覚めたヤコブは「まことに主がこの所におられるのに、私はそれを知らなかった。」と叫ぶ。神のご臨在を体感した瞬間であった。
私たちは「神はともにいて下さる」と何度も聞いているが、いったいそれをどのくらい実感しているだろうか?
時々私たちは神がおられることを忘れ、自分で策を巡らせたり、それが上手く行かないと当惑したりする。以前のヤコブもそうであった。
しかし、全ての事の成り行きの背後に神の御手がある。私たちは祈りと黙想により、或いは牧師や他の人の助言により、それに気付かされることがある。
神のご臨在が御言葉を通して迫って来る時、私たちもヤコブの如く、畏れ恥じつつも歓喜して言うのである。
「ここにあなたはおられるのに、私はそれを知らなかった。」と。