御言葉メール823
2016年3月19日(記:斎藤文子)
「すると、彼は言った。『外に出て行って、隣の人みなから、器を借りて来なさい。からの器を。それも、一つ二つではいけません。・・・』」(第2列王記4の3)
預言者集団の一人が亡くなった時、その妻がエリシャのところにやってきます。夫を亡くし負債を抱え、子供たちは奴隷としてとられそうだ、と訴えます。
だからといって、その妻はエリシャに何か具体的な事を求めるわけではない。ただ、神はこの様な者を顧みて下さるだろうか、という神のみこころを知りたい叫びでありました。エリシャがこの妻に、家にあるものを聞くと、油のつぼ一つしかないと答えます。それに対してエリシャは冒頭の様に答えて、その妻と子供はエリシャのことばに従い、近所から空っぽの器をたくさん借りてきて、自分の油つぼから次から次と注ぎます。
たくさんの器は、何と油であふれました。この油で親子の生活は守られました。この妻が置かれた状況は、空っぽの器の様に自分の中には何も無い、自分でできる事が何一つ無い状態。この妻はエリシャを通してただ神に叫ばざるを得なかったのです。私達は、病、自分の過ち、罪、失敗等を通して、自分の思いであふれかえった心が空っぽにさせられる時、真剣に神に呼び求める者とさせていただけるのでしょう。
その時に自分の思いや願いでないもので自分の心が満たされるという経験をしていると思います。それは油が多くの器にあふれる神の業と同じ様に、私達のうちに成される神の業なのです。