御言葉メール833
2016年5月28日(記:斉藤文子)
「主が王を打たれたので、彼は死ぬ日までらい病に冒され、隔離された家に住んだ。」(第2列王記15の5)
イスラエルの王を中心とした歴史書である列王記を読んでいると、全ての事が神の御手の中で動いているのだ、と教えられます。王を立てるのも滅ぼすのも実は主であることがはっきりわかります。
どれほど神を信じない偶像礼拝者の王や王妃が権力を握っているようにみえたとしても、それも神の赦されている時期だけで、神の預言者によって伝えられた神の裁きは必ず成るのです。またこの記事は神が私達の生活のすべての領域において、関わりをもたれない所など何一つないことを教えてくれます。私達をこの世に生まれさせる神は、それで放っておかれるのではなく、私達の全生涯と永遠において責任をとってくださる神です。
この教えの中に生きようとする時、日常生活が変わってくるのではないでしょうか。私達の髪の毛に至るまですべての事をご存知で、愛なる神のご支配の中に生かされている。この事を信じて生活するのとしないとでは、ものの見方、考え方、決断の仕方が変わってくるでしょう。
何故こんな事が、と思う悲惨の中にある時も、自分の罪の結果だと諦める時も、私達を愛して止まない、赦し続ける神の御手の中にあるのです。その時、自分の内にはなくても、どこまでも信じ続ける忍耐と赦される平安が主によって備えられることを信じる者です。