御言葉メール835
2016年6月11日(記:斎藤文子)
「あなたがたのものにならないのは、あなたがたが願わないからです。」(ヤコブ4の2)
預言者エリシャが死の床にあった時、イスラエルの王ヨアシュがやってきて、エリシャがこの世を去る事を悲しんでエリシャの上に泣き伏します。そのヨアシュにエリシャは矢を取らせ、それで地面を打つ様に命じる。王は3回打ってやめてしまった。
エリシャは怒り、5回、6回打つべきだった、そうすればアラム(敵国)を絶ち滅ぼせた、あなたは3回しかアラムを滅ぼせない、と、告げてその様になっていく。王はエリシャに求める事はできても神のことば(エリシャのことば)を信じる、という事が難しかったのでしょう。これは、私も同じです。「信じなさい」と言われる神のことばを前にする時、その信じる内容は、自分の願いがかなう事しか思い浮かばない。
これが神がどの様な方なのかわからない者の限界だと思います。そうすると、祈りながらも、つい目の前の人や物に期待している。ヨアシュ王がそうだったのでしょう。神様という方がどの様な方かわかってくると、全ての事が主にかかっている事に気づくのではないでしょうか。あなたがたのものにならないのは、あなたがたが願わないからだ、と、神は言われる。どんな事でも願う様に言ってくださる神のみことばに期待し続ける時、自分に都合の良いものではなくて、私達に本当に必要なものが必ず自分のものになるのです。