御言葉メール850
2016年9月24日(記:辻嵐桂子)
「高ぶりが来れば、恥もまた来る。
知恵はへりくだる者とともにある。」(箴言11章2節)
イエスがパリサイ人の指導者の家に招かれた時、他の招待客たちが上座を選んでいる様を見てなさったたとえ話を思い出す。
「招かれるようなことがあって、行ったなら、末席に着きなさい。そうしたら、ー(中略)満座の中で面目を施すことになります。」(ルカの福音書14章7ー11節)
当時のパリサイ人たちは、あからさまに上座を好んだようである。また、前後の記事からは、貧しい者や不具者への蔑みが見てとれる。
彼らは広場で挨拶されたり、人から先生と呼ばれるのが好きで(マタイ23:7)、人に見せるために敬虔さを演出した(マタイ6:16)。彼らの偽善をイエスは、「白く塗った墓」と表現された(マタイ23:27)。
日本人はおかしなもので、はじめから末席を選ぶ傾向がある。後で恥をかかないため、もっと言うと、「上座へどうぞ」と人に言われるため。
高ぶりは誰の心にもある。自分では謙遜しても、人から蔑まれるのは我慢できないものである。
キリストの救いを必要としないのも、日々の生活で神に頼らないのも、また人の高ぶりである。
神の御前にへりくだることなしに、本当の意味で人に対して謙遜になることは難しいであろう。