金沢聖書バプテスト教会

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御言葉メール887

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御言葉メール887

2017年6月10日(記:斉藤文子)

「エフディが三、四段を読むごとに、王は書記の小刀でそれを裂いては、暖炉の火に投げ入れ、ついに、暖炉の火で巻き物全部を焼き尽くした。」(エレミヤ36の23)

「力」というと、いろいろな意味合いで用いられますが、ひとつ言える事は、どの様な力であっても、人間はそれを持ちたがる、という事です。体力、能力、権力・・・どの様な事柄においても、弱いよりも強いほうがよい、小さいよりも大きいほうがよい、というのは人間の共通した思いです。

何故、人は強いもの、大きいものを良いものとして求めるのだろう。造られた者が造り主を無視した結果、創造者に従う事を愚かとしてしまった。創造者に従うことを止めた人間は、神の様になるための力を求めざるを得ない。そのような力を極めたのが、王の権力なのかもしれません。自分の思い一つで、人を殺す事も生かす事もできる。

そんな王の一人、ユダ王国のエホヤキムは、エレミヤが口述してバルクに書かせた預言の書を、小刀で裂き、暖炉で焼いてしまいます。神が直接エレミヤに語られた預言を、神から書く様に言われた神のことばです。当時の最高権力によって、焼かれてしまった神のことばは、しかし、それで無くなったりすることはありません。神はエレミヤにもう一度書く様に命じられるのです。人間の権力が神を押さえつける事はできません。私達が今、聖書を読めること自体が神の力を現わしているのではないでしょうか。

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