御言葉メール892
2017年7月15日(記:辻嵐桂子)
先生。この女は姦淫の現場でつかまえられたのです。モーセは律法の中で、こういう女は石打ちにするように命じています。あなたは何と言われますか。(ヨハネの福音書8章4-5節)
律法学者たちがこの女をイエスのもとに連れて来たのは、イエスを試し告発する理由を得るためであった(6節)。
もし石打ちにせよと言えば、これまで説いてきた神の愛に反するし、また、ユダヤを支配するローマに無断で死刑を執行するとなれば、反逆者と見なされかねない。
もし赦せと言えば、律法に違反したとたちどころに糾弾される。
だがイエスは黙っておられた。
執拗に問い続ける律法学者たちに、イエスがやっと答えられたのは、あなたがたのうちで罪のない者が、最初に彼女に石を投げなさい。のひとことであった。
これを聞くと、年長者からひとりひとりその場を立ち去ったとあるが、私自身もこの御言葉に刺され、居たたまれない思いになる。
なぜなら、他人の過ちや欠点をさばくとき、自分のうちにも罪があり、欠点があることを
忘れてしまっているからである。
彼女を訴える者が誰もいなくなり、最後にイエスご自身が、わたしもあなたを罪に定めない(11節)と赦しを宣言された。
イエスは罪人を救うため、十字架にかかられた。
私たちも、自分自身の罪を認め悔い改め、主の救いにすがるなら、赦しを頂き、全き平安を得るのである。