御言葉メール971
2019年3月23日(記:斉藤文子)
主は虐げられた者の砦。苦しみの時の砦。御名を知る者は、あなたにより頼みます。主よ、あなたを求める者を、あなたはお見捨てになりませんでした。」詩篇9の9,10
詩篇全体を読むと、神の前に罪人であると自覚している者が、自分を苦しめ虐げられている者の手から救って欲しいという切なる呻きを知る事ができます。冒頭の詩篇9篇の作者ダビデもそうです。神を畏れないで悔い改める事をしない人達(敵)が、自分を中傷し非難し虐げる。そういう中で、ダビデは自分の敵から神が守ってくださると確信しています。
それは、自分が全てにおいて正しい、と自信を持っているからではありません。ダビデは全ての人間関係の前に、自らは神の前で罪あるものだ、と自覚している。神に裁かれて当然な者だと思っているのです。
しかしダビデは神がどういう方であるか知っていました。神は絶対的に義しくありながら、義しさと全く反対の罪を持つ人間を愛される。ご自分を犠牲にしてまで、悔い改める者を条件なしで受けいれ、決して見捨てられない。神こそ私達の前に築かれた堅固な砦です。破られることがありません。
自分の罪を認め、悔い改める者は、神に受け入れられ祈りが聞かれる事を確信できる様にしてくださる。もし神により頼む事を知らず、また神に信頼することを馬鹿にするならば、いわれのない中傷や非難にあう時、怒りと苦しみ、みじめさのとりことなって、その渦の中に沈んでいくしかありません。しかし神に信頼する者は、神こそ私を守る砦なのだと経験させていただけるのです。