御言葉メール975
2019年4月24日(記:斉藤文子)
「そして、もしキリストがよみがえらなかったとしたら、あなたがたの信仰は空しく、あなたがたは今もなお自分の罪の中にいます。」第1コリント15の17
今週の日曜日はイエスキリストの復活を祝うイースター礼拝がそれぞれの教会で持たれた事でしょう。
私は信仰を持ったばかりの時、十字架はよくわかるが復活はなかなかわからない、と思っていました。聖書に書いてあるからそうなのだろう、という程度の理解でした。確かに十字架の残酷な処刑が自分の罪のためだった、と言われた時には、それで自分の罪は赦されるのか、それなら信じていこう、と考え信じました。その時は、復活の事も教えてもらいましたが、十字架が大きなウエイトを占めていたのです。
それから少しづつ聖書がわかっていく中で、復活がなければ十字架でイエスが死なれた意味も、その十字架の死が私自身のためであったこともわからなかったのだ、という事がはっきりしてきました。
復活の光に照らされてこそ十字架の意味は、初めて明らかになるのです。それを教えてくださるのは聖霊なる神です。復活のキリストを通して私達の罪は、無条件に無制限に赦される。
復活されたイエス様はもう死ぬことがありません。聖霊なる神は、死に対する勝利をおさめられたキリストを示してくださる。そのイエスを信じる私達も肉体の死を通って永遠に神と共に生きるのです。
イエスを信じさせてくださる聖霊の導きは、復活の主が私達と共におられる平安を与えて、私達の歩みを最後まで導かれます。