金沢聖書バプテスト教会

金沢聖書バプテスト教会は、神の愛とキリストの贖いと聖霊の導きによって真の神様を礼拝する者の集まりです。あなたを心より歓迎します

951-1000

御言葉メール974

投稿日:

御言葉メール974

2019年4月13日(記9:辻嵐桂子)

大祭司はみな、ささげ物といけにえを献げるために任命されています。したがって、この大祭司も何か献げる物を持っていなければなりません。(ヘブル人への手紙8章3節)

旧約の律法に定められた大祭司の諸機能は、今や私たちの大祭司イエス・キリストに移行された。
この書簡では、キリストの祭司職の優位性があらゆる面から論じられているが、ここでは、私たちの大祭司もまた、献げ物を携える必要があると述べている。

著者は既に7章27節で、その献げ物がイエス・キリストご自身であることを明らかにしている。
それは、律法の動物犠牲とは異なり、ただ一度で完全な贖いを成し遂げるものであった。
私たちの救い主が、何故十字架にかけられたのか、その答えがここにある。

そもそも人類が堕落したその時から、神は罪に対しては死を要求された(創世記2章17節、ローマ人への手紙6章23節参照)。
それは肉体の死のみならず、すべての恩寵の源である神から断絶し、永遠に刑罰を受け続けることを意味していた。
人が罪赦され、再び神と生きるために、神が定められたのが、贖罪のいけにえであった。だが動物犠牲は不完全で、一時的なものであった。
罪のない、全き人となられた神の御子だけが、完全な贖いとなり得たのである。

キリストの受けられた十字架刑は、実に惨たらしいものである。
だがそこにかけられるべきは私たちであった。
その罪の重大さを覚えるとともに、御子をもお与え下さった、神の愛の偉大さを思うのである。

カテゴリー

-951-1000

Copyright© 金沢聖書バプテスト教会 , 2024 All Rights Reserved Powered by STINGER.