御言葉メール977
2019年5月11日(記:斉藤文子)
「まことに、まことに、あなたがたに言います。わたしのことばを聞いて、わたしを遣わされた方を信じる者は、永遠のいのちを持ち、さばきにあうことがなく、死からいのちに移っています。」ヨハネ5の24
人間が最終的に考え、直面しなければならない死について、聖書は考えられないほどの明確さで答えます。キリストのことばを聞いて、神を信じる者は、永遠のいのちが与えられ、すでに死からいのちに移っているのだと。いのちについて死について、この地上でここまで明確に断言していることばがあるでしょうか。
この明確さはひとえにイエスキリストというまことの神でありまことの人である方にかかっています。人間は自分の考えることや行うことを知っています。年をとればとるほど、自分の罪、愚かさ、矛盾がわかってくる。勿論、若くしての死の体験は違う絶望がある。そういう状態で考える死という自分の終わりは確かに恐怖でしかありません。生きている延長の中に突如として現れる死は、たとえ人の死を多く見ていても、その人にとっては全く未知の世界です。
自分の中のあらゆる思い、知識、行動を総動員して考えても、自分の枠の中からは、死に対しての明確さは出てこない。絶望と恐怖の自分の終末に、人間を造られた創造主である神、イエスキリストのみが確かな道を示される。人間の思い行い、功績に全くによらず、ただイエスキリストを信ずるーこの地上において、ただこの一点こそ、死の解決と永遠に生きるいのちが与えられているのです。