御言葉メール986
2019年7月27日(記:辻嵐桂子)
「また、不品行な者や、一杯の食物と引き替えに自分のものであった長子の権利を売ったエサウのような俗悪な者がないようにしなさい。」(ヘブル人への手紙12章16節)
エサウはイスラエルの祖ヤコブの兄である。
アブラハムから父イサクが受け継いだ相続財産は、本来長子であるエサウが受け継ぐはずであった。
この場合相続財産とは神様の約束であった。
狩りから空腹で帰ってきたエサウに、弟ヤコブは一杯の食べ物と引き換えに、長子の権利を要求したのだった(創世記25章29-34節参照)。
実際父を騙して祝福を自分のものとしたヤコブの方が、人間的には強かでずる賢く見える(創世記27章1-40節参照)。
だがここでは、エサウのような俗悪な者にならないようにと言われている。
エサウは、目先の欲望を満たすため、神様の約束を軽んじたのである。
それは、ヘブル書が書かれた時代の人々に適用するなら、財産や身の安全の保証を得るために、信仰を捨てるようなことがないようにということになるだろうか。
私たちにとってはどうだろうか?
この世での成功や人の評価以上に、神の赦しと祝福を尊いものと感じているだろうか?
もし、信仰より目先の利益や損得を優先するなら、やはりエサウと同じなのである。