金沢聖書バプテスト教会

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御言葉メール992

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御言葉メール992

2019年9月7日(記:辻嵐桂子)

「愛は寛容であり、愛は親切です。また、人をねたみません。愛は自慢せず、高慢になりません。礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず、苛立たず、人がした悪を心に留めず、不正を喜ばず、真理を喜びます。すべてを耐え、すべてを信じ、すべてを望み、すべてを忍びます。」(第Ⅰコリント人への手紙13章4-7節)

有名な、愛の章句といわれるところである。
パウロは賜物(神から与えられた才能や能力)を誇り、互いにさばき合うコリントの教会のクリスチャンたちに、いかに優れた賜物も奉仕も、愛がなければ何の役にも立たないと書き送り(1-3節)、そして、愛とはいかなるものであるかを続けて述べる。

上記の御言葉は、私たちが愛だと考えるものも、実は聖書の言う愛にはほど遠いものであることを教えてくれる。
いかに愛していると思う相手であっても、自分の期待に反すれば、苛立ったり失望したりするからである。
また、自己満足の博愛も、聖書の言うの愛とは違う。
愛は単なる感情や心持ちとは違う。
また、ある人たちが言うように、不確かで曖昧なものでもない。

聖書だけが、愛についてはっきりとした定義を与えている。
愛は忍耐を生み、行動に導き、有効に働いて、他者を生かす。
クリスチャンであれば、イエス・キリストのあり方こそ真の愛の姿だと言うであろう。
すなわち、私たち罪人を救うため、ご自分のいのちを贖いの代価とされた、自己犠牲の愛である。

このような愛は私たちの内にはない。
愛は神から与えられるものである。
だから、この最も優れた賜物を、私たちは追い求めるべきなのである。

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