御言葉メール1016
2020年3月7日(記:辻嵐桂子)
私の兄弟たち。様々試練にあうときはいつでも、この上もない喜びと思いなさい。
あなたがたが知っているどとおり、信仰が試されると忍耐が生まれます。(ヤコブの手紙1章2-3節)
近頃は新型コロナウィルスの問題で、感染した人はもとより、そうでない人も様々な規制を受け、その影響は多岐に及び、社会不安が生じている。
多くの人は事態が終息するまでと辛抱しているし、実際いつかはわからないが、必ず終焉は来るだろう。
また、そこから学ぶこともあるであろう。
これもある意味試練と言える。
だが、試練とか忍耐と聞いて、喜ばしいと思える人がいるのだろうか?
上記の御言葉は、初代エルサレム教会の指導者のひとりヤコブ(使徒の働き15章13節参照)が、迫害のため離散したユダヤ人クリスチャン(同11章19節)に宛てて書いたものである。
ここで言われる様々な試練とは、病気や経済的危機といった、全ての人に共通の試練と共に、信仰者ゆえに直面する試練ー迫害や差別ーが含まれている。
これらをこの上もない喜びと思えと言うのは、試練が信仰者を、より成熟へと向かわせる神の手段であることを、著者は知っているからである。
私たちも今試されている。
だが、全ての事柄の背後に神の意志があり、目的がある。
また神は、私たちを耐えられない試練にあわせることはなさらず、試練とともに脱出の道も備えておられる(第一コリント人への手紙10章13節)。
これらの御言葉は、今の時を忍耐する上で大きな力となり、また希望である。