御言葉メール1065
2021年2月14日
「私たちの主イエス・キリストの父である神、あわれみ深い父、あらゆる慰めに満ちた神がほめたたえられますように。神は、どのような苦しみの時にも、私たちを慰めてくださいます。それで私たちも、自分たちが神から受ける慰めによって、あらゆる苦しみの中にある人たちを慰めることができます。」第2コリント1の3,4
私達はバプテスマ訓練会や学び会等で、神がどのような方であるかを教えてもらいます。先ず教理として、自分の信じる神がどういう神なのか知る必要があるのです。その神知識は私達を神との交わりに追いやっていく。
冒頭のパウロも、父なる神があわれみ深く慰めに満ちた方であると、教えられていた知識を身をもって経験した。それはパウロが遭遇した、死を覚悟するほどの危険、ことばで言い表すことができないほどの苦しみの時にさえ、神をほめたたえずにはいられないほどの神の慰めなのです。更にその慰めを通してパウロは、苦しみにあっている人を慰める、という意味を教えられる。
私は苦しい事には会いたくないですが、しかし苦しみを通して初めてわかる事が確かにあります。主が苦しみの中を通らされる時、神の慰めに満たしてくださる、とのパウロの告白は、苦しみを通る通らないという事以上に、神に私達の目を向けさせてくれるのではないでしょうか。