御言葉メール1069
2021年3月14日
「確かに今日まで、モーセの書が朗読されるときはいつでも、彼らの心には覆いがかかっています。しかし、人が主に立ち返るなら、いつでもその覆いは除かれます。主は御霊です。そして、主の御霊がおられるところには自由があります。」第2コリント3の15~17
ユダヤ人は会堂で旧約聖書が朗読されるのをいつも聞いていました。しかしパウロは、そのユダヤ人の心には不信仰という覆いがかけられており、旧約聖書で啓示される救いの真理を悟ることができない、というのです。
それでは彼らの不信仰の覆いはどのようにしたら取り除かれるのか。自分の罪を告白し、キリストを信じるだけで救われるのです。即ち、主であるキリストに立ち返る時、キリストによって初めて覆いが取り除かれる。律法を行おうと思っても行う事ができない。罪の奴隷であることを否が応でも知らされる。
しかしキリストによって罪から解放され、真の自由が与えられた。私達は今や、これをしなければならない、という、できてもできなくても自分や人を、表面に現れた行いで評価する生き方から解放されたのです。人や自分に向かう生き方ではなく、赦されたが故に神に向かう生き方ができる者とされた。
私の祈りは、これがどんなに大きな恵みであるかを日々、聖霊によって教えられる事です。