御言葉メール1075
2021年4月24日
「むち打ちにも入獄にも騒乱にも、疲れ果てた時も眠れない時も食べられない時も、大いなる忍耐を働かせて、また、純潔と知識、寛容と親切、聖霊と偽りのない愛…また、ほめられたりそしられたり、悪評を受けたり好評を博したりすることによって、自分を神のしもべとして推薦しているのです。」第2コリント6の5~8
福音宣教に突き進むパウロの前に、様々な事が次から次と襲いかかります。パウロが列挙するこれらの辛い事の一つでも自分にふりかかってきたら、私はどうするだろう、と考えてしまいます。
先ず、何故自分がこんな目に合わなければならないのかと思うでしょう。また以前は、自分の失敗であっても、降ってわいた苦しみであっても、神様のすばらしさを証しできないのではないか、と、考えた事もあります。今はその様に考える事はありませんが、往々にして考え易い事です。
パウロは、自分の苦しみをわかって欲しいと思っているわけではなかった。自分に降りかかる全ての事を通して、神のしもべとして歩んでいる事をわかって欲しかった。自分に降りかかる恥も賞賛も、神のしもべである、しるしでした。
十字架の愛に迫られるパウロにとって、人の評価より神のしもべとして歩むことが最大の関心事であったように、私自身もそうさせて頂きたいと願わされます。