御言葉メール1083
2021年6月26日
「私たちは肉にあって歩んではいても、肉に従って戦ってはいません。」第2コリント10の3
聖書には、よく「肉」という言葉が、良くも悪くも使われます。パウロは、ここでは、「肉体を持った者として」という意味で使っています。パウロも他の人と変わらない人間であって他の人より優れているわけではない。人間としての制約の下で弱さを身にまとっている者だ、というのです。
コリントの教会は、パウロが開拓した教会ですが、パウロが次の開拓地に行ってから、偽りの教師が入り勢力を広げました。
彼らはパウロの使徒としての権威を認めず、パウロを非難します。その非難の一つがパウロは肉的な人間、即ち生まれながらの人間の持つ考えや打算をする、こざかしい人間だというのです。
その様な批判に対して、パウロは冒頭のことばを書いた。確かに肉体をもっている限り、罪の性質は赦されていても、なくなる事はありません。その弱さと制約の中にあります。だからこそキリスト者の歩みは戦いです。その戦いは、私達をキリストから離そうとするあらゆるもの、その背後のサタンとの戦いです。だから人間的な賢さ、力で戦う事はできません。それでは何で戦うのか。パウロは神のことばへの信仰で戦う、という。私達もそうです。自分ではなく神への信仰が勝利を治める事を日々、経験できます様に。