御言葉メール1118
2022年3月9日
「今、わたしは彼のうちに霊を置く。彼は、あるうわさを聞いて、自分の国に引き揚げる。わたしはその国で彼を剣で倒す。」(イザヤ書37章7節)
これは紀元前701年、アッシリア軍がユダに侵攻しエルサレムを包囲、陥落寸前まで追い込まれた時に、預言者イザヤがヒゼキヤ王に送った言葉である。
この言葉は直ちに成就し(8、37-38節)、またアッシリア軍は神の超自然的介入によって殲滅され(36節)、ユダはとりあえず危機を脱した。
聖書に見る戦争は、特に神の民イスラエルが中心で、その勝利も敗北も、すべて神の御手のうちにあり、意味があった。
私たちは聖書の御言葉を通して、圧倒的な神の主権と力を見る。
現代の戦争はどうなのか。侵攻され、破壊されている国の様子が連日テレビやSNS で報じられている。多くの人が不当に踏みにじられているのを見る。あの町にも神の民(神を信じる人たち)がいるのではないのか。
神は何でも用いることができるのではないか。王の心をも動かすことができるのではないか。なぜ、なおも暴挙を許しておられるのか。
戦火の火の粉は私たちの身にも降りかかるだろう。神は全てを支配する。
私たちはどうやって神の栄光を見る、また、神の栄光をあらわすのだろうか?