御言葉メール707
2013年12月7日
「幸いなことよ。そのそむきを赦され、罪をおおわれた人は。」(詩篇32の1)
クリスマスを覚える季節になりました。最近では、クリスマスというのはプレゼントをもらえる日、そしてプレゼンターとしてのサンタクロース、またパーティをする日などと理解されている様です。私が子供だった50年ぐらい前は、クリスマスはイエスキリストの降誕を祝う日、という本来の意味で用いられ、飼葉おけに寝ている赤ちゃんイエスを示すグッズが圧倒的でした。
最近の日本のクリスマスはイエスを指し示す物がほとんど見当たりません。いかに商業ベースに乗せられているとはいえ、この数十年の間にクリスマスの意味さえ問われなくなってしまったのは、残念でなりません。クリスマスの主役は、私達人間ではなく神であるイエスキリストなのですから。2千年前に来られた神イエスと私達とどんな関係があるのでしょうか。
冒頭の言葉の幸いな人というのは、そむき、罪が赦され、おおわれた人であるといいます。罪を犯さない人ではなく、罪を赦された人が幸いだと。罪がない人はいないからです。クリスマスに来られたイエスキリストこそ私達のどんな罪も赦すことができる。イエスへの信頼は、クリスマスが赦しと慰めに満ちた神への感謝の日になるでしょう。