金沢聖書バプテスト教会

金沢聖書バプテスト教会は、神の愛とキリストの贖いと聖霊の導きによって真の神様を礼拝する者の集まりです。あなたを心より歓迎します

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御言葉メール 56

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御言葉メール 56
2005年2月12日
「パリサイ人は、立って、心の中でこんな祈りをした。−神よ。私はほかの人々のようにゆする者、不正な者、姦淫する者ではなく、ことにこの取税人のようでないことを、感謝します。−ところが、取税人は、遠く離れて立ち、目を天に向けようともせず・・・言った。ー神様。こんな罪人の私をあわれんでくださいー」
(ルカ18の11ー13)
ともすると祈りの課題を祈るだけで、やれやれ終わったと、満足してしまう生活の中で、取税人の祈りはわたしの心を探リます。ところでパリサイ人も、人との比較はあるものの、感謝の祈りを捧げます。でも、義しいとされたのは取税人でパリサイ人ではなかったーこの違いはどこにあるのでしょうか。
祈りは神様との交わりです。この交わりが成立するためには、人間の罪を赦すキリストの贖いがあればこそです。祈る事ができるのは、まさに罪の赦しの結果です。そのキリスト者の感謝は、
何かができた事より先ず、「自分の罪を赦して下さい」、「罪赦されて感謝します」という神がなしてくださった事を崇めるものになるでしょう。この点においてパリサイ人は、祈りの形をとりながら自分の行いを誇りました。
私たちも自分の罪が赦されたことを意識しないで祈るなら、神の業を崇める事はできません。私達の祈りが神の業を常に崇めるものとなります様に。

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