5 心に悩みや苦しみを
抱えている人との関り方
ローマ人への手紙8章24〜27節
「私たちは、この望みによって救われているのです。目に見える望みは、望みではありません。だれでも目で見ていることを、どうしてさらに望むでしょう。もしまだ見ていないものを望んでいるのなら、私たちは、忍耐をもって熱心に待ちます。御霊も同じようにして、弱い私たちを助けてくださいます。私たちは、どのように祈ったらよいかわからないのですが、御霊ご自身が、言いようもない深いうめきによって、私たちのためにとりなしてくださいます。人間の心を探り窮める方は、御霊の思いが何かをよく知っておられます。なぜなら、御霊は、神のみこころに従って、聖徒のためにとりなしをしてくださるからです。」
実は私は、15年程前に統合失調症(精神分裂病)の御夫妻(二人共=病院で知りあって結婚された)と関ったのですが、今のような理解がなく、この御夫妻に対してとても辛くさせてしまいました。そして、教会から引き離してしまったのです。
どのような誤りかというと、障碍者本人ではどうしょうもない、不安とそこから来る様々な妄想、そして自分が嫌われているのではないか、と言う疑い、その様な声を聞いて(自分の心の中にある迷い、自己否定など=例えば:迷惑を欠けている、いないほうがいいんだ、という心の思いの表れ)いる時にそれに理解を示し、牧師との間の橋渡しをしてくれる家族の支えがないために、不安と、疑いがとうとう教会の皆が嫌っている、だから牧師にも兄弟姉妹にも合えない、教会にいけない、と言う強い思いにいたらせてしまったようです。
そのきっかけは本当になんでもないことでした(本人には重大な辛い事だった)。ある日、教会のみんなで旅行しました。その時、行きは私の運転する車で、帰りは私は、仕事があるために別の人の運転する車で帰っていただいたのです。ところがその車の中で、兄弟姉妹のちょっとした言葉(励ましと否定的な言葉)と、私が別の兄弟の運転する車に変えて欲しいと言った事で、私が迷惑がっている、嫌っていると思い込んでしまったのです。
このような時に家族が、説明したり、私に連絡をすぐにしてくれたりして、説明で来る状態にあったならば良かったのです。その様なことの理解がなかったために、辛い思いをさせてしまいました。また、牧師が関った場合には、牧師と同じくらい信頼関係を築く事のできる重荷のある兄弟なり姉妹を紹介し、できるだけ接触しておく助け手が必要です。それでも牧師が、他の人にバトンタッチをすることは十分に注意しなければならないようです。
心に悩みや苦しみを抱えている人との関り方。
――統合失調症――
聞き上手になるための条件
1、 SST(social skills training)とは、
ソーシャル・スキルズ・トレーニング(社会生活技能訓練)のことです。
統合失調症(精神分裂病)を患っている人も完備されたリハビリテーションのプログラムに参加する事により、いろいろな生活技能を修得することが出来るのです。これは、身体障害者が、様々なトレーニングを積むことによってより社会生活が主体的になってゆき、活動範囲がより広がって行くのと同じなのです。しかし、精神障碍者のリハビリではその方法がかなり違っています。それは、物理的障害(物理的バリアー)ではなく人間関係における障碍ですので、その社会技能訓練も人間関係訓練というのになります。
その事が最も研究されている分野としての生活技能訓練(SST)なのです。
かなりたくさんの人たちを対象にした研究が6つありまして、それらの研究の結果、精神分裂病を患っている人も生活技能訓練を習得でき、そして、習得後、最低1年間は生活技能訓練を保持できることがわかりました。
統合失調症を患っている本人の生活技能訓練はロールプレイ、モデリング、実際に何回も繰り返しての訓練(挨拶の仕方、聞き方、感じ方等々)などを行います。この方法は、指示集団精神療法より効果的なことがわかりました。
リハビリテーション・プログラムで教わった生活技能はプログラム以外の場(実際生活で、例えば家庭、又は理解してくれている教会など)で使ってみる必要があります。これを「宿題」といいます。
リハビリテーション・プログラムでいろいろと指導を受け、練習したことを実際の場で応用し、少しずつ生活技能を一般化し、慣れていくことです。リハビリテーションプログラムで練習している時はぎこちなくなったりしますが、思ったりしている事などを実際の生活の場でやって見て、その技能を少しずつ改良していく事などにより、一般化させるわけです。
「宿題」の場は、最初は一番安全な場である家庭で行われ、慣れたらその次は支持的で信用できる親戚の人たち(現状は親戚だからこそ隠す、と言うこともあります。ですから教会が最適な場所と言う事になります。教会は、実社会と病院、家族との中間的働きを求められます。)、その次は友達や近所の人たち、そして一般の人たちと、次々と1番練習しやすい「場」から難しい「場」から難しい「場」へと変えてゆきます。
これは、より良い接し方と言うことです。このとき障碍者本人と関る側としての私たちは、「自分は話べただから、もっと話し方が上手になって、相手を変える事が出来たらいい」と思ってしまうのではないでしょうか。親身に話し相手になっているのに、話し合った後互いに物足りなさと、違和感を感じた経験がないでしょうか。そして、いかに人を慰め、また元気付け、出来れば自分の考えている通りに動かすことが出来ないだろうかと、考えたのではないでしょうか。事実、私もそのように考えたし、人の心を読み、コントロールできる方法を様々な方面の方々が本に著しています。
しかし自己主張では、まず人との接し方で躓いてしまうでしょう。だから、障碍者本人もまた私たちもきちんとした接し方を身につけておく必要があるのです。そのために「SST」の理解が必要なのです。
また、お読みくだされば幸いです。