金沢聖書バプテスト教会

金沢聖書バプテスト教会は、神の愛とキリストの贖いと聖霊の導きによって真の神様を礼拝する者の集まりです。あなたを心より歓迎します

クリスチャンのあかし

Kさんのバプテスマの様子

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2003年6月15日(日)礼拝後犀川でバプテスマ式が行われ、私たちの教会に一人の姉妹が加えられました。

 バプテスマとは、一般に「洗礼」という言葉でしられる教会の入会の儀式のようなものですが、もともとは「浸め」を意味する言葉で、本来は全身を水に浸める(全浸礼)で行われます。それは、私たちの主イエス・キリストが十字架につけられ、死んで墓に葬られ、三日目に蘇られたこと、そしてキリストを信じる私たちが同じように復活することを象徴しており、キリストへの信仰の証であります。

 このように、一人の姉妹が加えられたことは教会にとって大きな喜びとなり、また天においても喜びがわきおこっているものと信じます。感謝します。









あかし

 私と教会のつながりは、両親がクリスチャンだったことから始まっています。両親は信仰から離れてしまったのですが、私は教会に通い続け、自然にイエス様を自分の罪からの救い主として信じていました。



 小5の時に母が急死した後、私は精神的に不安定になり、不安を抱くようになりました。そんな時、聖書を読むことを教えられ、不安でいっぱいになったら聖書を読むと安心でき、毎日読むようになりました。高校の時、私の言葉で友人が傷ついたことから「いつの間にかクリスチャンだから自分は正しいと思っていたけど、私は罪人であり、この私の罪のためにイエスさまは十字架にかかって死んで下さったんだ。」と改めて罪からの救いを確信し喜んだことを覚えています。



 こうして私の信仰生活は続いていますが、主に背を向けることも多い歩みでした。昨年夏に私自身の問題で依然通っていたクリスチャンの集まりを出てこの教会に通うようになりましたが、再び、私の罪を許して下さる神の愛と赦しを心から体験し、喜び、神の子とされたことのすばらしさを実感でき、感謝することができました。また、心の病気を持っていることから不安感を抱きやすく、自分が不信仰だから不安になるのだと自分を責めていましたが、不安があるから不信仰ではない、不安があっても主を信じますという信仰が大切であることを牧師婦人から教えられ、心の重荷が取り除かれ、感謝しました。



 しかし、主を礼拝できることを喜ぶ一方で、以前集っていたクリスチャンの集会にはなかった教会組織、行事、礼拝形式に戸惑い、時には拒否的になり、牧師夫妻に対しても反発したこともありました。こんな私でしたが、祈りの中で教会員になりたいという思いが起こされ、学び会が始まりました。再び、私を戸惑わせたのが、再浸礼を受けなければいけないということでした。私は、高校の時にバプテスマを受けたのにどうしてもう一度受けなければいけないのか、私の受けたバプテスマはいったい何だったのだろう、依然通っていたクリスチャンの集会も私も確かに福音を信じていたのにと私が小さい時から持っていた信仰さえも否定された気がして、足踏みをしてしまいました。仕方なくではなく、平安を持って再浸礼を受けたくて祈っていたところ、ある朝、聖書を読んでいたら「偽り者とは誰であるか。イエスのキリストであることを否定する者ではないか。父と御子を否定する者は反キリストである。ヨハネⅠ2:22」「彼の義なるかたであることがわかれば、義を行う者はみな彼から生まれたものであることを知るであろう。ヨハネⅠ2:29」という御言葉を読みました。

私は、クリスチャンの集会とこの教会を比べ、どちらが正しいか否かと考えたり再浸礼を受けるために自分の納得できる条件や理屈を求めていたけど、どちらの集会も父と御子を信じ、義を行う教会なのだと教えられると同時に平安が与えられ、今まで求めていた条件も理屈もなく再浸礼を受けて教会員になろうと決心することができました。この教会の兄姉たちと心を一つにして主を礼拝し、主を喜ぶ者でありたいと願っています。 
金沢聖書バプテスト教会員 K

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