たねまき Vol.9
証《人にではなくキリストに目を向けて2》
私が研究生となって五年半が経った夏、子どもが行きたがっていたところへ家族で旅行している間に、周りの全てのことから離れて静かに聖書について考える事が出来る所が準備されていました。「静かなところでしばらく一緒に聖書を勉強するぞ」という主人の言葉に対して、嬉しい気持ちとサタンの罠ではないかと言う疑いの気持ちで、不安に襲われました。
聖書に詳しい主人の友人ということでK氏にお会いし、どういう立場の方を伺うと、「御言葉を真っ直ぐに伝えるものです」と言われ、自己紹介と話しをされました。私の方はあまり話さないようにして相手に情報を与えないようにしようと思いながらも、主人の上手な誘導によって会話になると自分にブレーキをかけようとしています。エホバの証人ではなくてよく聖書を知っているなら反対者に違いない。あー重い腰を上げて旅行に出たのに、気をつけてくださいね、と司会者に言われていたのにどうしよう。でもK氏の一つ一つの言葉にうその、人を陥れるような響きは感じられませんでした。ただ私には、マインドコントロールが働いていました。もうあの人に来てもらわないで、と主人に言うと、自分はもっと聞きたいから来てもらう、そしてあの人が何か変なことを言うと困るから私にも聞いて欲しいという返事でした。翌日、ものみの塔の信者からの質問に対して、誠意の無い態度のベテル本部から始まり、いろいろな問題が提起されて、このまま聞いているなら危険と思い自分を守るために退席しました。
ただならぬ状況を知って中学生の娘が喘息の発作を起こし、話しは中断され病院へ。そして次の日両親が、小学生の娘を連れて富山に帰ることになりました。娘たちは私のことが心配でならないと訴え、私はただ一人残されるのではないかという不安で、私も富山に一緒に連れて行って欲しいと、両親を困らせました。「また近いうちに来るから頑張って」と言う両親の言葉はどれほどつらい気持ちが込められていたことでしょう。4人を見送って主人と高校生の息子と私は、やはりそれぞれに辛い思いで抱き合って泣いていました。その時主人も辛いのだと言うことがわかり、この計画を立てたことに対する主人への不信感が少し薄らいだ様に思えました。
その日もK氏は、足を運ばれ主人に聖書の話しをされ、主人も私に無理やり席に着かせることはせず、熱心に勉強していました。私は主人が聖書を学ぶのに、間違った方で信じられては困ると思い、K氏との会話に聞き耳を立てて台所に立っていました。「シオニズム」と言う言葉に引っかかり、次に交わられた日には、最初から席に着かなかったものの、主人からの誘いにしぶしぶ応じて話しを聞き始めました。いよいよ覚悟して対決するつもりでした。
1914年がキリストの再臨の年であると言うものみの塔が主張する根拠は、列王Ⅱ25章8節からは見出せないことをたくさんの資料から説明されましたが、これが本当ならものみの塔の教理が危なくなりやしないかという思いがともなってなかなか納得できず、その夜、置いていかれた資料と聖書を広げ、主人は深夜まで私がほぼ理解できるまで付き合ってくれました。ネブカデネザル王の第19年にエルサレムが焼かれたのは、BC607年としているのはものみの塔のみで、他の資料は一様にBC586‐7年となっていて、BC607年にネブカデネザルは在位していないことがわかりました。1914年はものみの塔の創始者ラッセルがピラミットの通路の長さから計算したと言うのには、驚きがっかりしました。
ものみの塔の出版物の「王国行間逐語訳」は、更に多くのことを教えてくれました。その本の中でギリシャ語から英語に訳されるとき、冠詞Theを故意に加えて神とキリストを別個のものとしてしているところが、Ⅱペテロ1章1節、テトス2章13節などに見出され、また、ルカ23章43節では、コンマの位置が一つずらされることにより「今日あなたは私と共にパラダイスにいるでしょう」が「今日、あなたに言います。あなたは・・・」となってしまっているのです。ほんの目立たないような操作で、大きな違いを生み出している本を基にして、新世界訳が書かれていたとはなんと言うことでしょうか。自分は聖書を学んでいると思っていたのに、本当は何にも知らないということに愕然としました。
他に出エジプト記3章14節で「私はあるという者」とヨハネ3章58節「アブラハムがいる前から私はいるのです」で使われているギリシャ語は、前者は神、後者はイエス御自身なのに、どちらも「エゴー・エミー」となっているのを見て、イエス・キリストは神であると認めないわけにはいきませんでした。ものみの塔の教理が真理からかけ離れていたことは明らかであり、取るべき行動は一つでした。それでも頭の中では、自分は昨日までエホバの証人になろうとしていたのに、いま逆の立場をとろうとしている、これは現実だろうかという思いが駆け巡っていました。
<次回に続く>
(小杉在住 主婦)