金沢聖書バプテスト教会

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たねまき7〜12

たねまき7 エホバの証人から救出されて7

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たねまき Vol.7


エホバの証人から救出されて7






 エホバの証人をやめようと決心して、主人と両親は喜んでくれました。



 それまでのことを非難することもなく、むしろなるべく私が傷つかないようにと、気を使ってくれました。それは、草刈先生が「エホバの証人も被害者なんですよ」と言ってくださったからかもしれません。でも、このことは私の中でずっと苦しい部分でした。それについては、後でまたお話ししなければなりません。



 私が何よりも感謝したのは、「エホバの証人をやめたからといって、元の、エホバの証人になる前の状態になるわけではないのです。神様を信じる気持ちが変わったわけではありませんので、教会に通うことは許してあげてください。」と草刈先生がおっしゃってくださり、それを主人も両親も認めてくれたことです。私の中では、今はもうエホバという名前ではない、でもずっと私のそばにいてくださった神様がはっきりと存在していましたから、本当にうれしく、安心できました。



 こうして、私はやっと神様のところにたどり着きました。それからの2週間ほどは、正しい聖書の知識や基本的な教義を学ぶために、草刈先生が毎日来てくださり、エホバの証人のときには目の敵にしていた三位一体や、イエス様の神性について、人格を持った聖霊についてなど、初歩の初歩を教えていただきました。



 まだまだ理解するというほどの段階ではありませんでしたが、とにかく素直に知識として取り入れようと努力しました。



 ところが、イエス様が十字架にかかられ、三日目に甦られて天に昇られたことの意味を教えていただいた時、私には、自分の罪は大きすぎるだろうから、簡単にイエス様を信じてしまってそれを赦していただいては、いけないのではないだろうか・・・と迷いが出てきました。というのは,私の中では、エホバの証人だったときも、常に神様を求めていましたし、家族やほかの人たちを救いたくて頑張ってきた、という確信があって、その気持ちが間違っていたとはどうしても思えなかったからです。けれども一方では,五年以上も家族を苦しめ、何よりも間違った教えを神の言葉と信じ、宣べ伝えたことは、赦されることではないだろうとも分かっていました。そして,草刈先生がおっしゃってくださる「エホバの証人も被害者」という言葉は、私自身が思ってはいけないことだと感じていました。そんないろいろな思いがあって、心から「自分はエホバの証人になんかなって、なんて悪いことをしたのだろう」と思えない自分が嫌になり、こんなままでは(とてもひどいことをしたと自分の罪を感じられないままでは)とてもイエス様の前には出られないと思い込んでしまったのです。自分の罪を罪と思えないことほど、大きな罪はないのですから。



 このことは、誰にも話せませんでした。主人にももちろん、草刈先生にも、元エホバの証人としてお話に来てくださった姉妹にも、あまりにも罪が大きく感じられて言えなかったのです。そのうちに日がたち、2週間の学びが終わり、そろそろ教会に行ってみようと思えるようになっていました。エホバの証人のときには、とても恐ろしいところと思い込んでいましたので、なかなか決心がつかなかったのです。でもいざ行ってみますと、普通の人たちが集まり、祈り、聖書を読み、讃美し、お話を聞いていて、エホバの証人の集会とは全く違う雰囲気なのです。集まっている人々もいろいろで、同じ印象を受けるエホバの証人とは大違いで驚きました。そして、あるとき聖書からのお話を聞いていたときに、ある聖句が私の心に中に響いてきました。たしかテモテ第一、1章13節から16節だったと思います。それは、神様が、私の苦しみをちゃんと分かっているから、罪を感じられず、神様のこともほとんど分からない今の私を、そのまま受け入れてあげるよ、そのままでいらっしゃい、と呼んでくださっているように聞こえました。私は心からの喜びを感じ、「すべて神様にお任せしよう。きっと私に必要な罪の意識も、神様についての正しい理解も、神様が供えてくださるに違いない。」と思えるようになり、讃美しながら涙が出てきました。神様はいつも私を見ていてくださり、自分では動けなくなってしまったときには必ず引っ張って前へ進ませてくださりました。こうしてやっと素直に、心から、イエス様を私の救い主として認めることができ、エホバの証人との時には決して得られなかった救いをいただくことができたのです。



 ここまで来ますのに、とても時間がかかり、多くの犠牲を払い、恐ろしく遠回りをしたように思えます。けれど、神様はすべてご存じで、赦しておられ、無駄にはしないお方です。



そして何より、信じていなかった私の、「もし、神様がおられるなら、その本当の神様を教えてください。」という祈りに答えてくださったのです。救われた感謝を忘れず、いつも神様に頼って、そして祈りを大切にしながら、踏み出したばかりの歩みを続けていこうと思います。




<次号へつづく>

(金沢聖書バプテスト教会員 主婦)

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